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上野慎一郎 – 糸島のポテンシャルを地域の豊かさにつなげたい

島市志摩岐志の牡蠣小屋「豊久丸」で、身入りの良さが自慢の「濃厚みるくがき」を取り扱う上野慎一郎さん。漁師の父親が始めた牡蠣養殖をベースに、卸売販売、オンライン販売、輸出入まで手がける株式会社アクアグローバルフーズを20代で立ち上げました。

Shinichiro Ueno - Linking Itoshima’s potential to the region’s abundance, 上野慎一郎 - 糸島のポテンシャルを地域の豊かさにつなげたい

実家の漁業を手伝おうと、昔から思っていましたか?

いいえ。自分が子どものころは、母親から「漁師はやめとき」と言われるような状況でした。実家は、二隻の船で網を引く「二双吾智網(にそうごちあみ)」とりましたから一時は結構な水揚げ量だったんじゃないかと思います。でも、自分が中学生のころには漁師がどんどん減っていました。さまざまな要因で魚が取れなくなり、さらには船の燃料代は上がる一方で、「この先どうする?」と大変そうな家族の様子を見て育ったという感じです。

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どのようなきっかけで、今の仕事につながったのですか?

自分が学生時代に漠然と描いていた夢は「独立して自分の事業を持ちたい」ということでした。「世界を飛び回る仕事ってかっこいいな」と思っていましたから、就職したのは商社でした。海外で買付したり、クライアントと商品開発したり、いろいろな仕事に携わらせてもらいました。ニーズに合わせてどんな見せ方をしたら売れるのか、喜ばれる付加価値をどう付けるかなど、すごく勉強になりました。

転勤で東京勤務になったんですが、振り返ると、それが一つの転機でした。「実家が牡蠣養殖してるなら、オイスターバーに行ってみようよ」と友人が声をかけてくれたんです。父は、漁師の中でも割と早くから牡蠣養殖を始めていて、2001年には牡蠣小屋「豊久丸」を開業していました。ただ、今のような立派な牡蠣小屋ではなく、漁港に作った小さな掘立て小屋でした。当時は牡蠣1kgが600円くらいだったと記憶しています。ところが、友人と行った東京の一等地にあるオイスターバーは別世界でした。洗練された店舗で1個500円で売られる真牡蠣を見たときは、すごく驚きました。「実家の牡蠣を扱ってもらいたい!」と強く感じたのを覚えています。それからすぐに計画を練って、都内でも有数の人気店に売り込んでいきました。

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東京での牡蠣の売り込みは、順調でしたか?

当時は「糸島ってどこ?」という時代でしたから、苦労はしました。人気店の担当者は「閉店後の午前2時や3時だったら話を聞くよ」という具合で、商社の仕事のかたわら、睡眠時間を削って営業しました。甲斐あって、初めて取引が決まったのは、東京都内で最大の店舗数を持つ企業。本当にうれしい第一歩でした。

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最初は知らないことばかりでしたから、販売の基本も営業の中で学びました。「生牡蠣として提供するには『清浄海域』で養殖されたという確認が必須」と言われたので実家に問い合わせると、「そういえば、漁協がそういう検査をしよったね」との返答。実家の目の前の海は、大腸菌群が一定数以下で「清浄海域」の基準を満たしていました。全国的に見ても貴重な海域です。故郷の価値に気づき始めたきっかけだったような気がします。

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2012年に念願の起業をされました。計画通りでしたか?

商社で学びたいことを学んだタイミングで、退職して糸島に戻りました。牡蠣の卸業はすでに始めていたので、比較的スムーズなスタートでしたし、面白い経験もできました。真牡蠣の出荷は春先で終わります。夏場にすることがなかったので、オーストラリアに半年間、留学しました。

オーストラリアも牡蠣養殖が盛んですが、実際に行って驚きました。若い漁師たちが生き生きと働いていたんです。しかも、自分たちで養殖した牡蠣を輸出までしていた。彼らの生活はとても豊かだったんです。「漁師は儲からない仕事だと思っていたのに、この違いは何だろう」と考えて、「要はやり方なんだ」と気づきました。帰国後に株式会社を立ち上げ、牡蠣の輸入、輸出にも事業を展開しました。

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これからの夢は?

一度故郷から出たのでよく分かるのですが、豊かな自然に囲まれた糸島にはものすごくポテンシャルがある。ただ、それを市場につなげるノウハウがもっと必要だろうと思っています。自分の父親も、糸島で唯一牡蠣を種(幼生)から育てている職人タイプですが、売ることは苦手。だから、商社で経験を積んだ自分が糸島で発掘した価値をうまく商品化して、地域の豊さにつなげたいなと思っています。

そのためには、地域の美しい自然を守ることが不可欠。水産資源を守りながら、地域の人たちが豊かな生活を送れるようになるという未来図が、今の自分たちの夢であり、会社の経営理念です。

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Writer‘s comment

糸島には豊かな自然や四季の実りがありますが、それを糧に地域が潤うには「外の目」が必要。そこに「あるもの」を「ほしい人」に届けることで、価値の循環が生まれます。ただ、「外の目」だけで地元へのリスペクトがないビジネスでは、地域は潤いません。上野さんのように、地元愛と外の目を併せ持つ人が増えることで、糸島の未来はずっと豊かになるだろうと感じました。

Interview: Leyla / Photos: Seiji Watanabe

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Category
Kishi - 岐志エリア
Published: Sep 5, 2022 / Last Updated: Sep 5, 2022

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