白糸の滝へと続く山間に開かれた体験型観光農園施設「白糸の森」。オープンから5年で年間10万人もが訪れる人気スポットになっています。
完全無農薬の農園は、糸島市内で飲食店を経営する前田和子さんと夫の大串幸男さんが12年かけて手作りしているというから驚きです。白糸の森は、うどん屋・カフェ・親子向け体験農園の3本柱で「農・食・人」が集う場として進化し続けています。
前田さんは飲食店オーナー、大串さんは一級建築士。なぜ、山の中に移り住んだのですか?
前田:発端は「人生の楽園」というテレビ番組です(笑)。山で暮らす年配の夫妻が紹介されているのを見て、なぜか「この生き方だ!」ってひらめいて。以前「山を買わないか」という話を断ったことを思い出して、すぐ連絡。現地に行って購入を即決しました。
大串:それが2011年のことです。僕は当時、建築士として東日本大震災の被災地に長期出張中。電話で「山を買う」と報告を受けました(笑)。
山を買って、何から始めたんですか?
前田:開墾です。うっそうとした放置竹林だったので、手作業で毎日竹切り。糸島市役所近くでラーメン屋をしているので、店の片付けが終わって山に直行、朝4時から日の出まで車中泊という毎日でした。
大串:すごかったですよ。お店の常連さんも巻き込んで2,000㎡くらいを、たった1年間で切ってしまった。僕も東北出張が終わってからは車中泊に参加。そんな毎日でしたから、「ここに家を建てた方がいいね」ということで移住を決めました。
ということは、最初は農園を開く計画はなかった?
前田:まったく考えていませんでした(笑)。でも、移住を決めたらいろんなご縁がつながって。隣接する土地25,000坪を買わないかと言われ、閉店する菓子店から製菓機械を譲っていただき、農業体験事業は行政に後押しされ…。人との出会いでどんどん話が進んで、「白糸うどんやすじ」「森のカフェ緑の詩(おと)」「キッズファーム」という活動の3本柱ができました。
白糸の集落に移り住むとき、大切にしたことはありますか?
大串:地域の出ごと(地域活動)に積極的に参加すること。草刈り、溝掃除など集落はいろいろな共同作業で成り立っていますから。
前田:一言でいうと「お役に立ちます!」という気持ちですね。白糸は山間部で世帯数も30戸くらい。みんなが家族、身内のような関係だから、地域のためにできることはやる姿勢を大切にしています。
実際に住み始めてどんな発見がありましたか?
大串:佐賀の有田出身の僕にとって、山の風景は原風景です。ただ、白糸の滝の源流がある羽金山山頂から全方位を見渡した時、気になることがありました。全部杉と檜の人工林。「ああ、経済がこんなに山を変えてしまっている」って感じたんです。
前田:私は街育ちだったから自然林と人工林の違いも分からず、「緑がきれいね」って思ったんですけどね(笑)。
大串:30年以上前のバブル期に僕は東京で建築士をしていて、拝金主義の世の中が嫌になって、ヨーロッパに飛び出した経緯があるんです。そこで気づきました、「本物と呼ばれるものは、人が繋ぎ残してくれる」って。人を感動させる建物は何百年も手入れされて現役で存在しています。「本物を追求しないと何も残せない」と確信しました。
前田:彼は、自分が説明できないものは作らない、責任を持てないものを循環させない、という思いで、農薬も肥料も使わない農法を貫きました。私は経営を考えるタイプだから考えが合わなくて。何年かかってもまともに収穫できない頃は「これじゃ無理よ!」って何度ケンカしたことか(笑)。でも今は違います。彼が絶対譲らなかったから今がある。12年かかって土ができ、作物が育ち始め、今では生命力あふれる農園にたくさんの人が感動して来てくれます。本当に信じて良かったです。
大串:白糸の山や土、ここでの暮らしに対しても「人が繋ぎ残してくれる『本物』をやりたい」って思いが強い。それが誰かに伝わって、次世代に繋いでくれるのではと期待しています。
これからの夢は?
大串:ここに多様性に富んだ豊かな森を育てたい。それが自分が次世代に残したい「本物」だから。今はいろいろな樹種を年間数百本植えています。感動を伝えられる森に育てて「農と食と人が集える場所」を作りたいと2人で話しています。
前田:毎日の作業は辛いこともたくさん。でも、段々畑で虫に刺されながらも米作りをしていると「頑張れ頑張れ」って優しい感触を風に感じるんです。この土地を代々守ってきたご先祖たちかな。力をもらっています。これまでの12年で、竹に埋もれて閉じていた土地を再び活かすところまで来れた。これからも、自然の力、本物の生きる力を次世代に伝え残すための繋ぎ役として残りの人生駆け抜けたいです!
Writer‘s comment
とことん理想を追求する大串さんと、飲食店で培った信頼と人脈、経営力で現実を動かす前田さん。結婚15年目のふたりは思いを形にする最高のコンビだと感じました。地域への思いは地元の人にも伝わり、「あんたたちなら大事にしてくれる。うちの土地も使っていいよ」と応援してもらっているそうです。この空間がどうデザインされて開かれるのか。今後も楽しみです。
Interview & text by Leyla / Photography by Seiji Watanabe / Edited by: Emiko Szasz